↓前回はこちら。
snsiryounokatachi.hatenablog.com
引き続き、 #SNS医療のカタチTV の主催者のひとりである
病理医ヤンデル (@Dr_yandel) | Twitter
と、登壇者のひとりである
が、ああだこうだとWebチャットで語り合います。
***
■「講演」と「動画配信」の違いのヒントは林修先生にあり?
林修先生がさ、あの「今でしょ!」の人、あの人はさ、バラエティ番組でも「教室」の延長をやっているわけじゃないですか。
ああーーそれそれ。そうそう。ええ。
あの人はもともと東進ハイスクール所属で、オンライン授業のノウハウがあるんですよね。
そっすね、今でも東進で高校3年生の国語やってるんじゃなかったかな。
いま世界中の大学教員たちが、「授業」と「オンライン動画」との違いに直面していると思うんですけど、それに一足早く突っ込んだ感じですね。
オンライン講義はどんどん増えてるからなあ。
この前、わたくし、初めてオンライン飲み会やったんですよ。かなり楽しかったけど、やっぱり普段の飲み会と全然違いました。
どのへんが違いました?
なんというか、「複数のメッセージを同時に届ける」というのが難しい感じです。「ひとつのことを伝える」のはより強くなった感じ。
似たようなことを10時間くらいまえにTLで見たんですけど、
ほほう。
オンライン飲み会って、たとえば8名で飲んでたら、8名全員がつねに一つの話題なんですよね。4と4にわかれて好き勝手、とかがない。
うんうん。
だから「1強+7オトモ」の関係だとオンライン飲み会で十分いけるけど、そうじゃない、普通の友人同士のときって、たぶん「わちゃわちゃ同時進行」がないんですね。そこが違うのだろうな、というのは思いました。
でさ、その飲み会にね、1画面に2人いる、というケースがあったんです。同居カップルが参加したわけですけども。で、その一組は、画面内で別の話題で盛り上がれるわけですよ。
おっ。
そうするとさ、すごく「楽」なんです。
あっ、ラク。そうか
うん。楽。「いま喋っているのは自分だけじゃない」というのがわかるから。
そもそも人間って真っ正面から対面して一人一人の話を順番に聞くタイプの会話になれてないですし。
だからさ、8/23の「 #SNS医療のカタチTV」( https://sns-medical-expo.com/ )は、登壇者はやっぱり、どこかに集まったほうがいいと思います。
あー。話戻ったな
(ふふふ、自分の対談司会としての、どんな話からも本筋に戻すコントロール手腕に自信を強めています)
■「やさしい医療のカタチ」はなぜ「やさしい」なのか
「やさしい」が「優しい」と「易しい」の両方だ、みたいな話、以前に渋谷のイベントかなにかで大須賀先生あたりから聞きましたけれども、
「やさしい医療情報」を提供するときに、「画面が分かれてる」と、やさしさがちょっと減るでしょうね、それはたぶん。
おお、そうそう。「やさしい」を平仮名にしたの大事、という話。
それこそあなたが「 #SNS医療のカタチTV」で、「やさしい対談の進行役」をやるにあたって、登壇者はひとつの場所に集まったほうがいいよ、という考え方はとてもよくわかりますよ。
でさ、イベントの話をもう少ししておくと、おかざき真里先生 @cafemari と飛鷹和尚( @zenbo_hidaka )と、ヤンデル先生と私、という「コマ」があって、で、これは、ヤンデル先生が人選したわけでしょう。そのときは「オンラインで」、という話ではなかったけども。でね、この4人は、それぞれが一か所に集まって、別々に話したほうがいいと思うんですよね。
なるほど。「全員が一人を聴いて」を繰り返すのではなく。
そうそう。
あとさ、この『医療と和尚の、あうんの呼吸。』という「コマ」を企画したのはヤンデル先生なわけですが、そもそもどんな狙いがあったのですか?
さきほど、「病院に来る前に、医療がどう【やさしく】あるか」みたいな話があったでしょう。それに関しては、「大塚・けいゆう・ほむほむ」で今まで通りやれるのよ。
ほほう。
でもね、このイベントを俯瞰したときにね、「医者ではどうにもならん話もあるやんけ」って。宗教的な部分とか、運命的なものとか、人の役割とか、社会、制度、文藝、そういった部分、「病院に来た後の部分」とか、「病院に来ない部分」は、誰がトークするのかなあと考えたら、いなかったのね。
まあ、3人+ヤンデル先生、全員医者だしなあ。。。職業的に「医療のことに特化しなさい、だから人を切ってもいい免許を出します」と国家に言われている立場なわけだし。
そうそう。それ「特権」であって、「全権」ではないもんね。医療って医者がぜんぶやるわけじゃないでしょう。だから、まあ、医者以外の人を呼ぶことは「最低ライン」として、まず、宗教関連の方はお呼びしたいなーと思ってたんですね。ただ、ぼくらとの接点をどうしようかなと。
接点かー。
そこに君みたいにね、こう、しっぽと耳をピコンピコン動かしながらね、
■『サプリ』と『かしましめし』は「ケア」
飛鷹和尚のことは前からご存じだったんですか?
いえぜんぜん。
東京大学出身で、高野山真言宗に入ったお人ですよね。
あんなすごい方がいらっしゃるなんて全く存じ上げませんでしたからそこがきっかけじゃないんですよね。順番として、まず、お犬サマが手伝ってくれそうだと思い付いたときに、おかざき先生の顔がファーッと思い浮かんで、
おお、なるほど、おかざき先生にお声がけしたのは慧眼ですよ。よく引き受けてくれたなーと。お忙しいのに。
ほんとですよ。そして、おかざき先生が『阿・吽』を描かれている関係で、真言宗、密教関係の方々とイベント的なものをやられてたな、そこからつながらないかな……みたいなことを考えつつ……そもそも、おかざき先生の『サプリ』にしても『かしましめし』にしても、あれ、「ケア」だよなーと。
あ!! 『サプリ』と『かしましめし』が「ケア」というのは面白いなー!!
あれだけおいそがしい方です、ありがたいにも程があることこの上ないったらありゃしないです。(注:石黒正数氏の連想がまだ余韻として残っています)
蛇足で補足しますと、ぼくの中での「ケア」の定義は、「それ以上悪くならないように手をあてること」、さらに「それ以上悪くなりそうな予兆に気づくこと」です。
メンバーを聞いたときにね、「あ、ヤンデル先生は【死】の話を入れたいのかな」と思ったんです。
なるほどね。ちなみに、「生老病死」のなかで、ぼくがわかるのは「病」だけなんですよ。
■「死は生の対極としてでなく」
おもしろい分類をするなー。なるほど。「生病老死」でいうと、おかざき先生の作品は、その4つのそれぞれの間を描いているように思えるなー。
間ね。「老」あたりは「緩和ケア」とか「在宅ケア」みたいに、ケアの文脈でだいぶ出てきますけれどね。それにしたってね。ぼくらが専門とは言いがたい。
これは本番(8/23)で話そうと思ってたことなんですけども、
ほう……?
村上春樹がさ、「死は生の対極としてでなく、その一部として存在している」と書いているんですね(『ノルウェイの森』)。
おお。
でも一般の人って、やっぱり「生」と「死」は対極だと考えているし、臨床医の先生も、かなり対極だと考えている人、少なくともまったく違う「島」のことだと思っている人が多いように思うんですよね。
だからこそ、(「死は生の一部だ」と考えているであろう)幡野広志さんの、「死」込みの人生相談( 幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。|幡野広志|cakes(ケイクス) )が、あれほど受けるんじゃないかなあ、と思ったりしています。
ああ……今、このWebチャットではじめて長考に入ったね。キータッチの手がとまったもの。
(注:あとで見直したら1分も経ってなかった)
お、そういえば、もうすぐ1時間だ。はやいなーーー。
「生老病死」の話は、当日(8/23)したいですよね。
最後にちょっとっだけ、コロナ禍の話しましょうか。
おっ、お時間大丈夫ならぜひはい。
■新型感染症が断ち切ってしまったもの
何か変わりましたか?
「人と人とが顔をあわせること」の哲学みたいなものを、猛烈に読みたくなりましたね。
あ、おもしろいなー。なるほど。
その上であえて論点を狭くしますけれども、
自分にとって(「対面」が)わりと特別な体験である、ということね。
ふむふむ。>論点
ぼくは臨床医じゃないですが、普通の医者の仕事をすごく雑に分類すると「外来という場所で、やってきた患者に対して何かをする」と、「入院病棟で、そこにいる患者に対して何かをする」のどちらかなんですね。
で、入院については、患者も医者もおなじ病院内にいるので、外とのつながりは、テレビであったり、お見舞いであったり、患者がそれまで社会とつなげてきたリンクが細くなりながらも持続することで、保たれる。
ほほー。おもしろいなー。編集者でいうと、「連載作家の原稿受け取り」と「新人の持ち込み作品の吟味」の違い、みたいな感じかな。
いっぽうで、外来診療においては、そもそも医者と患者が顔をあわせている時間が、人生の中で「ちょっと」しかないんですね。対面している時間が、あくまで一部でしかない。投薬治療をしても、飲むのは家に帰ってから。つまり、患者と医者がいっしょにいないとき(社会とつながっているとき)のほうに、診療の主眼があるのです。
ふむふむ。コミュニケーションにおいて「前歴」が厚いのですね。で、そうか、見てないところでのケアと見てるところでのケアの違いかー。
で、コロナ以後は、この、「外来にきた患者が家に帰ってからすごす時間」と、「入院患者がつながるべき、社会の部分」が、大きく変わったんですね。……みなさんは病院の中が大変になっていることのほうを聞きたいかもしれないけれど……。
まあそうでしょうね。
病院で目の前のコロナ禍に対応することで必死の医者たちは、おそらく、「家に居るひとたち」と、「入院患者がつながるはずだった社会」にまでは目が向いていません。忙しすぎて。そしてこれがいずれ、けっこうなダメージとなって跳ね返ってくると思います。
これは面白いぞ。最後にこの話をもってくるとは。「普段の時間のほうが何倍も長い」という、当たり前だけど見過ごされてきた話がクローズアップされるわけですな。
新型コロナウイルスが人間に与える、もっとも強い災厄は、この「病院とそれ以外の連携を切ること」にあるとぼくは考えています。これまでふわふわと、たよりないけれどいつか頼れるかもという感じでつながっていた糸はぜんぶ切れました。「それどころじゃない」という空気によって。
なので、これ、「ワンちゃんの狙い通り」みたいなコメントするのがしゃくなんですけれど、医療者はわりとマジで、今のうちに、インターネットなどを用いて「はたしてどこまで他者とつながって情報をやりとりできるか」ってのを、必死で試行錯誤しておかないと、ウィズコロナの世の中ではおおくの患者がマジで困ります。
ウイルスは「人と人」を切り、「人と病院」も切ってしまったと。
そうなんすよ……特に「未病」とか「病後」、「病外」の人と病院が切れてるのが、すごくまずい。
いい感じでまとまりましたなーーー。
ウィッス。
じゃああとでログをまとめておきます。うまくいったら、次は大塚先生か残り2名のどっちかを呼んで、またやりましょう。
大変恐縮です。このチャットを通じてもいろいろ勉強になりました。話のふりかたほか。
はいはいー、ではのちほどー。
( ‘-^ )b
というわけで、お騒がせチャット、第2回はここまで。次回は文中にあるとおり、「オリジナル3」の誰かを読んで、またバタバタと語り合います。いつになるかは本稿のアクセス次第。次回もよろしくお願いしますー!
構成、見出し:たられば